ブライアンカーチスモーターサイクルズ

御存知の方は通だと思います

駒場から

山手通り西五反田に移りました時から

の僕はスタッフの一員でした…

湾岸戦争が始まる前の年の春

1990年の事でした

1991年1月17日…空爆…

ミッキーさんとテレビに釘付けでした

あれから25年ですかぁ

ミッキーさんはあの頃

今の僕より10歳若かった…

華やかで上品で冒険好きで

物凄く怖かった…

頭脳は恐らく宇宙人なみだと

推測するが

とうてい僕には分析不可能だ

未だにぜんぜん…わからない…

ブライアンカーチスモーターサイクルズ

ハウスオブブライアンカーチス

あの頃のあの場所に集った方々

たぶん僕が言っても

信じてもらえない…

知ってる方だけ知っている

…それでいいと思う…

僕はあの店で刺激をうけて

〈レッドムーン後藤〉になった

つまり今でも痺れ続けているわけだ

…いられる…わけだ

まるで映画のような毎日で

しかしその全ては現実だった…

惜しまれつつも終了したわけだが

映画でいえばまさに

「完」

ではないだろうか…

最近そんな気がしてならない

男の最後の花道とは何だろう

どんなものなんだろうか?…

そんな事も考えている

ミッキーさんを花に例えるならば

僕は「薔薇」を想像する

僕は牡丹になりたいと思っている

勝手なことを言っているが

そういう事を真剣に考えるのは

極めて重要な訓練ではないだろうか

男の戦いは死ぬまで続くのだ

生きて戦い終えた人など

僕は一人も知らない

男の花道は

自分自身で造るものなんだ

レッドムーン後藤